アート見て歩き〜 髙木智子 展
今日雨の中をテクテク歩き、ギャラリー恵風の髙木智子展を見てきました。
展示室に入るなり、強烈な色彩と量感で圧倒する画面に息を呑みました。
本人のステイトメント曰く「平面の表面で揺らぐ認識「内容と絵具の境、その噛合い方」を探っています。描かれた“もの”が“もの”として認識されることと、“絵具”として認識されることの境界を行き来し、素材の組み合わせと色の質感の見え方を、感覚と繋げたい……」とのこと。
私たちが絵画を見る時には対象物を認識しようとして見るのですが、同時に絵の具を見ている。そして、その絵の具を見ていることを強調するために、量塊として扱ったということでしょうか?
それにしても、この髙木さんのペインティングからぼくが最も感じたのは、イマジネーションの旺盛さです。日常的な風景を題材にしながら、激しいストローク、めくるめくような色彩によって画面に溢れる世界は、壮大な「イリュージョン」となっていました。
この、対象物を越えて迫り来る幻視が、ぼくには、絵の具の質感を強調するという意図よりも、ただひたすら面白く、変幻自在な世界を五感で味わえる楽しみに繋がっているように思われました。
展示室に入るなり、強烈な色彩と量感で圧倒する画面に息を呑みました。
本人のステイトメント曰く「平面の表面で揺らぐ認識「内容と絵具の境、その噛合い方」を探っています。描かれた“もの”が“もの”として認識されることと、“絵具”として認識されることの境界を行き来し、素材の組み合わせと色の質感の見え方を、感覚と繋げたい……」とのこと。
私たちが絵画を見る時には対象物を認識しようとして見るのですが、同時に絵の具を見ている。そして、その絵の具を見ていることを強調するために、量塊として扱ったということでしょうか?
それにしても、この髙木さんのペインティングからぼくが最も感じたのは、イマジネーションの旺盛さです。日常的な風景を題材にしながら、激しいストローク、めくるめくような色彩によって画面に溢れる世界は、壮大な「イリュージョン」となっていました。
この、対象物を越えて迫り来る幻視が、ぼくには、絵の具の質感を強調するという意図よりも、ただひたすら面白く、変幻自在な世界を五感で味わえる楽しみに繋がっているように思われました。