アート見て歩き〜 髙木智子 展

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今日雨の中をテクテク歩き、ギャラリー恵風の髙木智子展を見てきました。

展示室に入るなり、強烈な色彩と量感で圧倒する画面に息を呑みました。

本人のステイトメント曰く「平面の表面で揺らぐ認識「内容と絵具の境、その噛合い方」を探っています。描かれた“もの”が“もの”として認識されることと、“絵具”として認識されることの境界を行き来し、素材の組み合わせと色の質感の見え方を、感覚と繋げたい……」とのこと。

私たちが絵画を見る時には対象物を認識しようとして見るのですが、同時に絵の具を見ている。そして、その絵の具を見ていることを強調するために、量塊として扱ったということでしょうか?

それにしても、この髙木さんのペインティングからぼくが最も感じたのは、イマジネーションの旺盛さです。日常的な風景を題材にしながら、激しいストローク、めくるめくような色彩によって画面に溢れる世界は、壮大な「イリュージョン」となっていました。

この、対象物を越えて迫り来る幻視が、ぼくには、絵の具の質感を強調するという意図よりも、ただひたすら面白く、変幻自在な世界を五感で味わえる楽しみに繋がっているように思われました。
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アート見て歩き〜ばばりか 展〜

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「つくるビル」を出てから、河原町通を上って、「ARTZONE」で開催してる ばばりか展「妄想ハラッパ」を覗いてみました。

螺旋階段を登る途中、そして2階の展示室に、作品が多数吊るされていて、ちょっとした異空間に誘われました。

メインの作品は日用品の容器や布を使用したクラゲのような、軟体生物のようなオブジェでした。派手派手しく着色したり、あれこれと細かく手を入れたのではないのに、何やら不思議で可笑しな格好をした生き物のように浮遊する、透明感のある作品には驚かされました。

見ていると解説にもあるように、寝転んだり、座ったりして、様々な視点から見て見たくなる面白い空間でした。不思議なことに、なんとなく命の在り処を感じ、自然のざわめきを感じるひとときでした。

今日は、ちょっと気分が重かったのですが、それらのオブジェの透明な軽さと、浮遊する空間が醸し出す雰囲気に、心が軽くなった気がしました。

尚、1階のスペースには作者のドローイングが多数展示されていますが、これを見ると作者特有の光の捉え方がよくわかります。

単純化された線の軌道を見ていると、2階で展示されていた「生き物」たちを動かしている命の源は、きっとこの突き詰められ、思考された「光」なんだろうなと思いました。

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アート見て歩き〜山本雄教 展〜

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今日はまず、「つくるビル」で展示している山本雄教の個展を見てきました。

ビルの1Fの広いスペースと2〜4Fの廊下を使用して、大学在学中から過去6年間の作品を並べており、なかなか見応えがありました。

日本画出身ということで、紙の特質を活かした作品が中心ですが、題材は自由で、多様な表現を見ることができます。

この展覧会のタイトルは「How is this connected to that?」というものですが、この表題はそのまま山本さんの作品の特徴である、「視覚的な興味から意味への発展」を表していると思います。

たとえば、お米の粒から着想を得て広大な丘を表したり、和紙の透ける美しさに着目して、一円玉をびっしり敷き詰めた上に和紙を貼り、そこに切れ込みを作ったのを、テレビのノイズに見立ててみたり、歩道の点字ブロックの形状を竹林にしてみたり。。

視覚的な関心、素材への関心が、何らかの意味と結びついて(connectedして)、ある思考や感情の表現に至る行程様 は、作者自身が丁寧な解説を付けていて、よく理解できました。

山本さんの資質の根本には、そういう、人が見落としてしまいそうなものにはたと着目して、そこからイメージを発展させる感覚の伸びやかさにあると思います。

彼が面白いと思い、手に取ったカタチが、もたらしてくる視覚的なイメージから、ぼくは「変容」という言葉を思い出しました。

視覚的な関心から意味への飛躍。その意外性、あるいは断絶…その振幅が、彼の作品に潜む魅力なのかもしれません。

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