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水野悠衣さんの作品に出会ったのは昨年の初秋だったと思います。均等に丁寧に置かれた水干絵具による抽象絵画ですが、東山のKunstArztさんで展示されているのを見た時に、単なる様式では語れない雰囲気があるのを感じました。

モチーフは何かの風景であったり、絵であったり、写真や静物であったりして、そういう様々なものを水野さんの中で抽象化してゆくのですが、その過程では相当に頭脳というか、色覚的な思考が働いているに違いありません。

でも、全てが理知的にコントロールされているだけでは、単にスタイルだけの面白くない抽象が出来上がるはずなので、やはり描いて行く中で思考の外にあるものが介入してくるところが、彼女の絵に広がりが生まれる理由なのだと思います。

私の勝手な推察ですが、水野さんは、黙々と絵具を置いてゆく作業の中で、一定の精神集中を持続して行くうちに、無我の境地に近いものへと至るのではないかと思ったりします。例えて言うならば、ある種のトランス状態でしょうか?

水野さんがあの細かい点描をひとつひとつ塗っていくときに実際に起きていることは知る由もないのですが、あの、余計なものをそぎ落とす潔さによって却って生まれてくる表現の幅の広さを思う時、そんなことを想像してしまいます。

私はそうした自己の枠からはみ出した心理的な活動や、精神の意外な様相を顕在化させることに、造形芸術のひとつの面白さがあると思います。そしてそれに感じ入ることは、見る人の心にも何らかの影響を与えずには置かないと考えています。

…抽象絵画は難しいという通念がありますが、描かれたものの形態を確認するのではなく、リラックスして、自分の感性をできるだけ解き放ち、虚心で作品と向き合うのでいいと思うのです。そして伝わってくるもの、感じられるものを感じればいいのです。

今回の個展では、タイトルがかなりヒントになる作品も多いです。でも、例えばこの「陽気なうた」という絵にしても、人によっては賑やかな音楽を思い起こすかもしれないし、他の人は明るい照明に照らされた華やかなカフェを思い浮かべるかもしれません。


この「森から聞こえる」も、森の景色を抽象化したものではありますが、頭の中に浮かべる森のイメージは千差万別でしょう。日を浴びてキラキラした木立を思い浮かべる人もいれば森を流れる風のざわめき、小鳥達の声を聞く人もいるかもしれません。

作家は自己の認識の深いところへ降りて行き、対象の核心を捉えるために極限まで形態を抽象化していきますが、抽象絵画においては、そこから生まれたものに対して見る側の感じ方、浮かべるイメージは無限なのです。

今回の水野悠衣さんの個展で、そうした面白さを少しでも知っていただけたらいいなと思っています。