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ご先祖様の墓を訪ねて福井へ

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私の先祖は平安時代から京都でお医者をしていたということで、ここ京都にも幾つかご先祖にまつわる史跡や逸話があります。今の家族の墓は南禅寺の天授庵というところにあるのですが、そこには私の曾祖父の半井澄(号は秋山)が眠っています。
この方は京都府療病院長・医学校長・医師会の創始者ということで、とても偉い方だったようですが、その秋山先生のお父様は、幕末に越前藩主松平春嶽公に使えていた半井仲庵(号は南陽)という方で、春嶽公とはかなり親しくしていたらしく、実家には仲庵の体を気遣う春嶽公の長い手紙もあります。
今回はこの仲庵さんのお墓と、さらにその前のご先祖のお墓も、場所くらい知っておいたほうが良いのではという親の考えで、連れて行ってもらったのでした。
仲庵さんのお墓は福井市内の小高い丘、足羽山(あすわやま)というところにありました。ここには戦没者や、福井で活躍された人々が数多く葬られているところです。麓にはあの有名な橋本左内の墓もあります。はじめ医者を志していた左内のことを仲庵は期待を込めて面倒を見ていたらしいので、政治家として活躍し、非業の最期を遂げた彼のことを仲庵さんは複雑な気持ちで見ていたのではないかと推察されます。
仲庵さんの墓には鬱蒼とした林の中にあり、かなり傷んでいましたが、松平春嶽公による追悼の文言が刻まれた碑があって、昔日のお二人の親交の篤さを感じることができました。
その仲庵さんからどれくらい遡るのかはわからないのですが、福井市から越前鉄道に乗って40分ほど行った三国駅からほど近くにある瀧谷寺(たきだんじ)にある半井家の墓も訪ねました。
こちらは誰という名もなく、割れてほとんど倒壊しかけている状態でしたが、とても手の凝った作りの立派な墓石でした。このお寺の山門はあの柴田勝家が寄進して建ており、半井家は鐘楼の鐘を寄進したと伝えられているとのことです。永平寺などと比べてそれほど有名ではないお寺ですが、宝物殿には狩野永徳、山楽の絵など、素晴らしい宝物が沢山あり、由緒あるお寺であることをうかがわせています。

福井は初めて訪ねたのですが、京都と並び自分のルーツを語る場所ということもあってか、とても親しく思われました。山に囲まれ、海もほど近く、広々とした水田があります。京都の芳醇な文化芸術とは異なりますが、趣ある日本の故郷だなと感じました。
今度また、歩きやすい季節にゆっくり巡ってみたいです。
半井仲庵(南陽)の墓。手前は松平春嶽公による追悼の文言が刻まれた碑。

瀧谷寺の半井家の墓

瀧谷寺の半井家の墓



高雄神護寺へ

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今日は高雄の神護寺へ行って来ました。
ここは平安遷都に尽力した和気清麻呂公が建てたお寺で、空海もここにいて、あの素晴らしい高雄曼荼羅が残されています。ただ、建立当時の所在地は不明です。

私の家は和気清麻呂の系譜で、その子孫は半井氏となり、医家として長く続きましたが、あまりにも古の御方なので、これまで数回訪れてはいたものの、お花を供えるのは初めてでした。

お墓は本堂の裏手の、うっそうとした森の中を歩いて行った先にあるので、大抵は見過ごすか、わかっていてもわざわざ見に行くようなところではありません。
清麻呂公もさみしがっているかもしれません。

先日の台風の影響で倒木もあり、迂回路からお寺に上がりました。なんとか無事にお花をお供えすることができました。

いのくま亭が少しでも長く続けて行けるように、一心に祈って来ました。

帰り道は日差しも零れ、公も晴れやかに笑って、この不肖の子孫を見送って下さったのではと思われました。

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www.jingoji.or.jp/enkaku.html

護王神社と哲学の道

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今日は午前中西陣で用事を済ませてから、東山方面へ歩きました。桜でも眺めながら色々考えたかったからです。
途中、私の先祖の和気清麻呂を祀っている護王神社に立ち寄りました。
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ここは弓削道鏡のクーデターで都から鹿児島へ流された和気清麻呂が、都へ戻る時に猪たちに助けられたという言い伝えを受けて、猪を守り神としています。
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因みにいのくま亭という名前にしたのも、所在地だけでなく、この神社のことが念頭にあったからです。

和気清麻呂は平安時代に活躍した政治家ですが、国の安寧のためには民の健康が大切ということで、医療にも大変力をいれていたみたで、今の厚生省の元になるようなに組織を政府内に作っています。

彼が建てさせた神護寺には素晴らしい薬師如来がありますが、あれも清麻呂が民の健康を祈念して奉納したものです。

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護王神社にある家系図

そんなこともあって清麻呂の子孫は医療に関わる人が多かったようです。この清麻呂から続く家系は後に半井となりますが、この清麻呂から続く半井は、私の曽祖父までずっと医者でした。

さて、護王神社を後にしてから御所を通って南禅寺、哲学の道を歩きました。桜は八分咲きといったところでしたが、平日にもかかわらず沢山の人が散策していました。

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御所の枝垂れ桜

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哲学の道

嵐山散策

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もう桜が咲き始めていました。
鶯は盛んに囀っています。
観光客でごった返すシーズンの前に
ちょっと歩いて来ました。
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広隆寺の不空羂索観音

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今日は晴れたと思ったら雨になり、時折みぞれ混ざりになったかと思ったら、また日が差して来たりして、めまぐるしい天候でした。

風は冷たくて、一昨日までのポカポカ陽気が嘘みたいでした。

そんななか、久しぶりに広隆寺に行ってきました。ここのお堂には、有名な弥勒菩薩半跏思惟像の他にも、たくさん素晴らしい仏像が並んでいるのですが、ぼくが好きなのは不空羂索観音像です。

高さ3メートルを越える大きな立像ですが、威圧感がなくて、若々しくて、とても清々しい感じの観音様です。

程よく肉付きの良い、美しいプロポーションといい、青年を思わせる健やかで凛々しいお顔といい、盛期天平仏の理想主義的な美しさを保持していて、木彫ですが野暮ったさは皆無。彫りも鋭すぎず、しなやかな生身の人のような雰囲気が好きなんですね。一体どんな仏師が、どんな思いを込めて彫ったのでしょう。

じっと見ていると、まっすぐで濁りのない心を感じ、自分の中にも、ほんの欠片でもそうした心が宿るように願わずにいられません。

仄暗い御堂を出ると、明るい光が降り注ぐお庭の苔が、なんともみずみずしく輝いていました。雨に濡れた直後だったから、余計に綺麗だったのでしょう。

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